2014年3月4日火曜日

歴史を変えるオスカーに感じること

オスカーから(それでも)一夜明け、今回はいろいろと思うところあるオスカーだな~と感じたので、忘れる前に書きとめておくことにします。

まず、何と言っても感慨深いのは、アカデミー会員の94%が白人のこの賞が、86回目にして初めて、黒人監督の作品に作品賞を与えるところまで来たこと。オスカーファンの常識として、最初に学ぶことのひとつは、黒人で史上初めて賞を獲ったのは、「風と共に去りぬ」のマミー役、ハティー・マクダニエルと言うこと。その後、シドニー・ポワティエ、ルイス・ゴセットJr.が賞を獲り、私がリアルタイムで受賞を見た初めての黒人俳優は89年度のデンゼル・ワシントン(「グローリー」)でした。デンゼル・ワシントンが演じた役柄は、南北戦争で南部のために戦った黒人兵の役。ご存じ南部は、奴隷制度を守るために北部と戦争をしたようなもので、それの犠牲になって前線で戦った黒人部隊を描いた作品でした。

エドワード・ズウィック監督作品「グローリー」

 

この年は、スパイク・リーが、「ドゥ・ザ・ライト・シング」で黒人として初めてオリジナル脚本賞にノミネートされた年でもあり、でもこの作品は作品賞にノミネートされず、授賞式では何かの賞のプレゼンターとして出てきたキム・ベーシンガーが「一番大事な映画がノミネートされてない」と不服を言った光景を、まざまざと覚えています。ほぼ四半世紀前の話。


こちらがスパイク・リー
私はこの人が、最初の黒人オスカー監督になると思ってた

この2年後、またまた若手の黒人監督、ジョン・シングルトンが「ボーイズンザフッド」で史上初めて監督賞にノミネートされます。結局そのあと、黒人監督の映画が作品賞を獲るまで実に22年。(監督賞はまだいない。)ケネディ没後50年。アメリカのさまざまな業界を考えても、特に白人優越主義のハリウッドが変わるまでにかかった年月は、なんて長いものなんだろうと、つくづく感じました。

デンゼルが初受賞したすぐ後、翌年にはウーピー・ゴールドバーグが「ゴースト」と言う作品で助演女優賞を受賞します。デンゼルにしろ、ウーピーにしろ、あの頃の彼らのスピーチは本当に胸に響く内容で、彼らはアフリカ系アメリカ人と言う人種全体を背負って受賞している意識がすごくありました。黒人女優として史上初めて主演女優賞を受賞するハル・ベリーが受賞した頃くらいまで、そんな風潮があったかな。その頃から、2000年代に入るとほぼ必ずノミネートの中に数人は黒人が入るようになってきて、受賞も珍しいことではなくなり、次第にスピーチの内容は、90年代の人種を背負っているそれではなく、俳優としての喜びを表すようになりました。肌の色は関係なく、実績で評価される時代になったという証拠でしょう。

前出のウーピー・ゴールドバーグは、受賞する前にも1度、主演女優賞にノミネートされています。1985年のスティーブン・スピルバーグ監督作品「カラーパープル」です。「それでも夜は明ける」と同じ南部の奴隷制度について描いたこの名作は、その年最多の11部門ノミネートされ、無冠でその夜を終え、それは今日まで、無冠で終わったノミネーション数の記録として残っています。

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