2018年11月12日月曜日

ドキュメンタリー豊作の年に、評価の低いマイケル・ムーア

今年はなぜか、ドキュメンタリーのヒットが続いている。女性最高裁判事を描いたRBG、生まれたばかりの時に里子に出された三つ子の人生を描いたThree Identical Strangers, フリークライミングで見ていてくらくらすると噂のFree Solo、とにかく候補になりそうなドキュメンタリーが目白押し。年代的にドンピシャな私に響くケヴィン・マクドナルド監督Whitney はホイットニー・ヒューストンの家族の全面協力のもと作られた作品で、これまたかなり出来がいいとのうわさ。とにかく見ごたえありそうな、注目ドキュメンタリーがものすごくたくさんある中、元祖ドキュメンタリーの巨匠マイケル・ムーアの「華氏119」を見てきた。

正直、私はムーアがあんまり好きではない。史上最高額の興収をたたき出した「華氏911」は、時流に乗って調子に乗りすぎるムーアが感じられて、正直引いた。カンヌでパルムドールを獲った直後、ニースの空港でたまたまムーアを見たけど、自分は白けていたことを思い出す。自己主張が強くて、偏りきっていて、メディアをうまく使って見ている者を操るムーアは、私にはちょっとトゥーマッチで、どうしても好きになれない監督だ。そんなわけで今回の「華氏119」は、私にとっては見る理由がない映画で、ああまた偏った政治主張を繰り広げるいつもの映画を作ったんだな、くらいにしか思っていなかった。劇場で見るつもりはさらさらなかった。

そんな中、仕事の流れでギャガにもらっちゃったムビチケ。貰っちゃったら見ないと失礼だからね。とりあえず見ることにしました。日曜日のシャンテ。16時10分の回。入りは半分以下くらいかな~。入ってませんでした。まだ2週目始まったばかりなのにね。まあそうだよね。マイケル・ムーアのいつものドキュメンタリー、私だって見る気なかったし、みんな見ようと思わないよね。

でも今回は違ったんです。いつもの有り余る怒りとか、調子に乗ってる感じとか、シニカルになんでもパロディにするところとか、あるにはあるんだけど、私はそれよりも、なんだか悲壮感みたいなのを強く感じたんだよね。今回のテーマ、選挙とトランプ批判についてのものだとばかり思っていたんだけど、実際に見たらそうじゃなくて。描かれていたのは、現在のアメリカを作り出したのはアメリカ国民そのものだということと、悪いのはトランプだけではなくて、オバマ政権下でじわじわと大きくなっていった国民や政治家の無関心ということ。政党と関係なく、既存のルールに甘んじている古い体質の政治家が国民を不幸にしていて、その中で声を上げる持たざる者たちもちゃんといるんだということが、絶望感にも似た悲しみと共に叫ばれている気がして、私は今までのムーア作品の中で一番感動してしまったのでした。

作品の中心になっているのは、ムーア自身の故郷ミシガン州フリント。このフリントが、そこに住んでいる市民が、国家によってまるでモルモットのように扱われているエピソードが紹介される。フリントと関係のない私たちにすら衝撃的なのに、ここ出身のムーアにとってはどれだけ辛いことだっただろう。今回の作品は、この10年の彼の作品のどれよりも、私にはパーソナルに感じられ、ムーアの真剣な祈りが伝わってきたように感じたのでした。

作品の中には、先日中間選挙で下院議員に初当選した女性議員の数人が出てきて、そこのくだりには、見ている私たちも勇気と希望をもらえる。作品の中には本当にいろいろな問題やテーマが盛りだくさんで、詰め込みすぎな感や長すぎる感は否めない。でも、その不完全な感じも含めて、私にはリアルな叫びに感じられ、今までの出来の良いムーア作品よりも、心に訴えるものがあったと思う。

アカデミーも観客も、マイケル・ムーアに食傷気味な感じがあるのは確かだと思う。特にドキュメンタリーが豊作な今年、この作品は5本の一本に選ばれないかも知れない。でも、この作品を見た人は皆、たぶん政治について、差別について、目指すべき社会について、いろいろ考えると思うし、心を打たれると思う。あんまりお客さんは入ってなかったけど、今回こそもっとたくさんの人が、見てくれると良いなと思う。

2018年11月9日金曜日

Netflix が許せない

今年もとうとうやってきました。オスカー前哨戦前夜。今年は11月末にすでにNBR発表らしいです。オスカー自体が2月末だからかな。2020年のオスカーは2月初めになるらしいから、来年はもっと早いのねと思うとなんだか、もうどうしていいのかわかりません。

さて、今年のオスカーで有力候補の筆頭に挙げられている作品に、アルフォンソ・キュアロンのROMAがありますが、こちらネットフリックス制作です。去年のMudboundしかり、ネットフリックスがお金を出して、素晴らしいクリエーターたちが思うように映画を作ることに関しては、素晴らしいと思います。ROMAはネットフリックスの方針をあえて変更し、ちゃんとした劇場公開もするらしいし。今後もそうなってほしいものです。

で、ネットフリックスが映画業界に貢献している部分については否定する気もないし、Stranger Things とかOITNBとか面白いテレビシリーズを作っていることも素晴らしいと思う。ただ、私にはどうしても許せない、納得できないことがあるんです。それは、どの映画を見てても、クレジットが始まった瞬間画面が切り替わり、次の作品の宣伝が映ること。

映画は、作る人、演じる人があって初めて出来上がるものです。クレジットを最後まで見ない人がいることはわかりますが、見ない行為はオプションであって、デフォルトはやはりクレジットを見せるべきだと私は思います。この素晴らしい作品のあの役を演じていた俳優の名前はなんだろう?と、楽しみにみていると、突然クレジットが左上の小窓に収められ、私たちは一気に現実世界へと引き戻される。この、映画ファンを愚弄するような行為が私には耐えられないのです。

ネットフリックスは映画会社ではなく、あくまでIT企業です。普段はそんなこと思わないんだけど、こういう瞬間に私はいつも、この事実を思い知らされます。日本の視聴者をもっと取り込みたいなら、ネットフリックスはローカルのオリジナル番組を作るために躍起になるのではなく、映画ファンを大事にする施策を講じてみてはいかがでしょうか。